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アリストと2JZ-GTEに関するまとめブログ

東名キャノンボール

社会問題となった東名レース

「かつて社会問題にもなった『東名レース』とは何だったのか」全盛期を駆け抜けた当事者達が語る。

70年代後半は改造車文化の黎明期。そして週末には東名高速を全開で走る「東名レース」に数多くの走り屋たちが参加していた。今回の企画は、当時を知る人物をフィーチャーし、ゲストにRE雨宮の雨さんと元トラストの大川さんが出演する。現代では取り締まりが厳しくなり、東名キャノンボールを行うことは難しくなった…。当時のスピードに取り憑かれたエピソードが数多く語られるこの動画。血潮たぎる魂の思い出を皆様にお届けします。

 

当時の海老名SAが凄い!! OPTION誌1983年8月号

東名高速道路での公道レースが全盛期を迎え、路側帯や中央分離帯にも観客が押し寄せる危険な状態になっていた。しかしこの30キロのステージこそが、日本のチューニング史において最高速トライアルのスタート地点であった。東名最高速ランナーたちの噂が広がり、土曜日の深夜に海老名SAから東京料金所までの区間を全開で走ることが密かに行われていた。

しかし、最近は見物人が多すぎるため走ることができなくなっており、パトカーが出動する事態も発生している。最高速ステージではパワーだけでなく、足回りや空力的リファイン、信頼性も求められ、L型エンジンやロータリーエンジン輸入車チューンド勢とのバトルが繰り広げられていた。各軍団の中でも、雨さんを頂点にしたロータリー勢やポルシェ軍団など濃いメンツが揃っていた。「東名全開族と呼ばれて」1983年夏、深夜の東名高速は無法地帯だった…