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アリストと2JZ-GTEに関するまとめブログ

首都高C1ランナー

首都高C1黄金期

首都高C1の黄金期に最速と呼ばれていた男達の物語を紹介していきます。C1はかつて、「700円で走れるサーキット」と呼ばれており、関東最大のストリートステージであり、そしてこのC1を舞台に様々な伝説が生まれました。2008年末に大規模な一斉検問が行われ、以後、取り締まりが強化され、全開で走るチューンドカーを見る機会が激減しました。記事に登場するBNR34はアタック時の平均速度が200キロオーバーで、霞が関トンネルまでの僅かな直線区間で300キロに到達する速さでした。web option

 

ガソリン代が月15〜20万円

男はC1アタックに魅せられた。「ガソリン代が月15〜20万円、多い時は週に3回。ちょっと前までは700円で走れると思っていたサーキットなので、笑ってしまう」と言った。彼は常に利用する休憩場所、KK線の出口から近い道路上に真紅のBNR34を停め、話を始めた。「初心者は内回り、外回りは腕に覚えがある人だけ」。これはC1に長い間伝わる暗黙のルールだ。外回りはトップランナーたちが競う戦場となるが、この真紅のBNR34は敵なしの速さを見せている。「攻める上でのポイントはいくつかある。まず、汐留トンネルの先に上り切ったところで車が一瞬浮く。直後には左から右のコーナーが続くので、着地時にバタつかないセッティングが重要だ」と言った。彼が煮詰め上げた足回りは、テインのスーパーレーシングをベースに構築している。バンプ側のセッティングを研究して、着地の衝撃を2回のストロークで収めるようにした。C1のバンピーな路面に配慮して、柔らかく粘り気を持たせた。バネレートは前後10kg/mmが基準値だが、路面の状況によっては12kg/mmを選ぶこともあるという。web option

 

1990年代後半になるとC1に関する状況が変わってきました。交通量の増加、ますます厳しくなった警察の監視により、C1を走るコースも変化しました。銀座からスタートして11号台場線でレインボーブリッジを渡り、湾岸線を一瞬走って辰巳PAに。そこからスタートして9号深川線で300km/hを目指します。ナイトシフト、C1スペシャランナーズ、マッドドッグなどから集まった素晴らしいドライバーたちは、10数名いました。彼らは、今では一発逮捕されることが確実な常軌を逸したスピードでC1を走り抜けていきました。」web option

 

自分が世の中と常識からズレていることには自覚していましたが、それでも、それほど楽しかったことは確かです。死ぬということを覚悟していましたが、それだけの楽しさが手に入ったと思います。周りではよくクラッシュがありましたが、自分のチームで死んだ人は最後までいませんでした。今思えば、それは「たまたま」だったかもしれませんが…web option

 

C1外回り当時物映像

東京首都高C1外回り。1993年の元旦レースの模様です。Tokyo inner circular route-1 top ranker's race in 1993' New Year.

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